以下は、1年半ほど前、如水会館で喋らせてもらった講演の要旨※です。正規の授業の補足にもなり、又、この十数年来(社会資本投資については三十年来)の我が主張を集約したものなので「課外授業」掲載第1号に適当と考える次第。今回は省略しましたが、折をみて、データの更新と図表の掲載を行いたいと思います。
※ 一橋大学開放講座2012年4月19日@如水会館(概要は「如水会報」2012年7月号に掲載。タイトルは「日米の起業活動格差とその背景」。)
ベンチャー振興の限界と日本経済長期低迷の根本要因
田代泰久
日本経済は超長期に亘って低迷し、未だ立ち直りの気配を見せない。今日(2012年4月19日)は活性化策の一つとして期待されたベンチャー振興の限界を日米比較の観点から検討することから始め、少々話題を広げて、そもそも我が国経済が永らく迷走を続けているのは何故かについて私見を述べたいと思う。
▼日米のベンチャー格差
まずは日米の起業活動格差についてである。我が国では九〇年代半ば以降、米国をモデルに起業教育、産学連携から新興株式市場、ストックオプション、エンジェル税制に至る実に幅広いベンチャー支援策が導入されてきた。しかし、格差は全く縮まっていない。
例えば、国際起業調査・GEM において日本は相変わらず最下位ランクにあり、代表的な指標である開業率も、米国が一〇%以上、日本は四~五%程度という構図は以前と変わらない。次に、二〇〇〇年以降に株式を公開した新興企業の時価総額比較である。上位十社を比べると日米格差は十倍もある(日本二兆四千億円、米国二十四兆円 )。因みに、日米それぞれのトップは楽天(時価総額一兆円)とグーグル(同十七兆円)である。業種構成は、日本はEコマースや携帯ゲームを中心とするサービス業が主体であるのに対し、米国はIT、半導体、医療機器、バイオ等、多彩である。ベンチャーキャピタルの投資額の格差は最新のデータでは十五倍以上に拡がっている。最近我が国でも力を入れ出した産学連携分野でも、ライセンス技術のロイヤルティ収入を比べると、主に生命科学分野の差に起因して日米格差は二〇〇倍を超えている。このように、ベンチャー支援策の導入が本格化して十数年経った今も日米間には依然大きな格差があり、特に顕著なのがハイテク分野である。
▼ベンチャー格差の背景
(1)資金
米国のハイテクベンチャーはインターネット系も含めて連邦政府の技術開発資金の賜物という側面がある。即ち、米国は「民」の国であると同時に「官」の国でもあって、公的研究開発費は、日本が三兆円レベルなのに対し米国は巨額の軍事研究支出が加わることなどから十数兆円の規模にある。政府調達も同様の理由で半端な額ではなく、こうした膨大な資金の多くがハイテク分野に注ぎ込むのであるから、連邦資金は結果として先端的ベンチャー誕生の強力な基盤になっている。大学の研究費をみても人件費等の換算をやり直すと日米格差は十倍という試算すらあり成果に差が出ない方が不思議である。
(2)人材
担い手なくして起業なしであるが、ここでも日米の事情は随分違い、米国ではハイテクベンチャーを実に多様な人材が支えている。
第一に挙げられるのは、昔ほど大学や大企業の研究職に就けなくなった理工系学位保有者である。即ち、昨今の米国では博士が供給過剰の傾向にあり、必然的に一定数が学識を活かして起業に向かうことになる。その中には、故国に帰るより米国に留まりたい中国やインド出身の博士たちも多数含まれる。
第二に、我が国と比べ米国は副業の自由度が高く、ベンチャー企業は大企業との掛け持ち人材を活用できる。主業を終え月の光と共に副業を始める「ムーンライティング」により兼職者は自らがいずれ本格的に起業する時の知識も蓄積するわけである。
第三に、大企業を離れた多様な人材の存在が指摘される。九〇年代に入って米国ではIBM、AT&Tといった終身雇用で知られた超大企業ですら十万人規模のリストラを手掛けた。そうなるとリストラを免れた人にも「明日は我が身」という意識が生まれ、大企業経験を活かし、様々な立場・スキルでベンチャーを支える層の厚味が増していった。
(3)精神・国民性
これら「格差の背景」のその又「背景」を探ると、科学技術、軍事、高等教育、ビジネス等々の分野で米国が突出した超大国である点に行き着き、これだけでも我が国には真似が出来ないと気づく。その上、米国人には起業にはうってつけの国民性がある。フロンティア精神、失敗の許容、勝者への賛美、多様な価値の受容等々である。膨大なシードマネーと多様な人材に恵まれ、その上国民性がこうなのであるから、ベンチャー大国、米国はハイテク分野を筆頭に無敵である。
言う迄もなく、こうしたメンタリティも米国が移民超大国である点に由来しており、他国の人間が起業振興の観点から、「失敗を許容し、勝者を心から賛美する米国人を見習おう」などと言うのは、この国の特殊な成り立ちを軽視した無理な訴えである。
欧州各地から数百年に亘って波状的にやってきた移民は、故国で飢餓・貧困、戦乱、弾圧等の下にあった。彼らはこうした状況から脱すべく、大西洋を渡るだけでも一〇%以上が命を落とすことすらあった猛烈な危険を冒して新大陸にやってきたのである。従って、そのような新移民の一度や二度の失敗に、かつて皆同じ事情だった人々から成る社会が非寛容な訳がない。失敗の許容は米国の専売特許と言える。しかも米国は窮屈な旧大陸や島国と異なり無限のチャンスに恵まれた広大な新天地であったから、周囲にとって成功者は、限られた成功の機会を奪った人間でなく、逆に、将来の我が成功を予感させてくれる存在なのだった。だから、心の底から成功者を賛美するという、他所では見習い難い独特の気風が生まれたのである。
私はベンチャー振興策の歩みとほぼ軌を一にして大学で起業論を担当しており、我が国のベンチャーの発展を強く願うものである。しかし、以上のよう。な埋めようのない構造格差を考えると一部の人々にみられる過度の期待はもてない。まして不況が延々と続く需要不足の日本経済である。「若者よ失敗を恐れずベンチャーにチャレンジせよ」といった類の煽りは到底言えない。先に述べた構造格差に加えて日本に欠けているものを挙げれば、それは支援制度でもベンチャー精神でもなく、経済の基本である需要であり、その源泉たる「欲」である。
▼長期経済低迷の背景 ―欲なき国民と没となった理想のシナリオ
そう、日本経済は久しく需要不足なのである。その超長期に亘る低迷の根本を探ると、高度成長によって衣食が十二分に足りた後も国民の欲求が環境・文化・景観・更なる安全等、高次の公的な領域になかなかシフトせず、内需不足が延々と続いている点に帰着する。いうならば私欲充足後の「公欲」の不足である。この不足は不安定な外需で埋めるしかないが、それが伸び過ぎて余分なカネが悪さをしたのがバブル発生と崩壊であり、円高等で振り回されているのが昨今の姿である。
政策対応も三十年に亘って的外れであった。が、これには訳がある。かつて大平政権は財源を消費税導入で確保して社会資本投資を増やし、高度成長の負の側面を修正した社会の実現を目指した 。時代認識上、これしか有り得ない構想であった。しかし「公欲」なき有権者に支持されず、総選挙の敗北(七九年秋)に加え首相の殉職のような死(八〇年夏)でこれが頓挫すると、国民の負担・協力によって社会資本を充実させながら成長するという理想のシナリオは、後続の政治家にとって頭で分かっても、選挙対策上最もあり得ないタブーとなったのである。
以後、歴代政権の機軸となる政策は、民活、ビッグバン、ベンチャー振興、規制緩和、民営化等々、予算を使わず民間企業の利潤動機を刺激する構造となり、需給ギャップや経済格差の拡大という負の効果も持つものであった。このアンチテーゼとして、交代した政権は多額の予算を使い、手当支給や無料化によって個人を潤す方式をとった。確かに消費の増加や小選挙区での支持獲得には何程か寄与するであろうが、これらが国民の将来のため、財政負担に見合った貢献をするとは思えない。
▼迷走三十年の帰結―失った歴史的社会資本蓄積期
こうして三十年余が無為に過ぎ、無駄の大合唱の中で公共投資もピーク比半減の二十兆まで切り込まれた 。それでも財政は一層深刻化、過度の国債依存をかろうじて可とする根拠、自慢の対外収支の先行きも懸念される。これに危機感を覚え国民に負担を求める覚悟を決めた政治家が「その前にすべきことがある」といった票目当ての抵抗を乗越え増税に成功しても、今後の医療・福祉関連支出の更なる増嵩を考えれば、公共投資復活の余地は極めて乏しそうである。目覚めても、もう。「大平に還れ」ない。
大袈裟であるが歴史的痛恨事である。我が国には民間で提供できるモノやサービスが溢れる一方、その国土は天災多く、電線垂れ下がり、戦後の安普請で覆い尽くされている。かかる状況は、世界の頂点に登りつめた経済力が衰えぬ内にこれを公で活用し、一気に改善すべきものであった。計画的に数十年に亘って毎年幾百万の雇用を投入していれば、今頃、日本の国土は驚くほど安全で便利で、しかも眼に美しく人に優しいものに大転換していたと思われる。その歴史的な蓄積の時代を我が民族は負担を嫌ってみすみす逸したのである。おまけに、財源不足を補える穏やかな公共資金、郵貯迄も専ら利を求める荒々しい民間資金に大変身させたのである。社会資本整備の財源確保に悩み、我が国郵貯を羨んでいた他国の人々も驚いた筈である。
間違いの元は我々国民に時代・状況に相応しい欲、就中(なかんずく)、「公欲」が欠けていた点にある。無闇に役所を苛め、市場を万能と崇め、一人浮かぼうと個々に自己啓発本の類を読み漁るといった風潮は実に虚しいものであった。
折角の経済的成果を列島に蓄積せぬまま衰微しつつある日本を後世の歴史家は「満腹程度で無欲になった国民の悲劇」とでも評するのだろうか。本来なら見違える様な国土、安定した雇用を実現し、そしてこの二つがもたらす将来への明るい展望を持ち得た筈であったが真に残念、先人にも若い世代にも申訳ない三十年であった。
こうした認識の社会的共有なしに日本経済の健全な再生はなく、ベンチャーの本格的発展もない。二十二世紀になっても空を覆いかねない蜘蛛の巣のような電線を見上げながら、そう感じている次第である。